1979年のアメリカ映画。監督はノーマン・ジュイソン。主演はアル・パチーノ。
第52回アカデミー賞では主演男優賞と脚本賞の候補となった。
BGMのセンスがひどい
まずこの映画、音楽がよくない。
古い映画だといっても、センスのいい音楽の使い方をしている人は、昔の人でもたくさんいる。
信じられないような音楽のチョイスがこの映画をダメにしてしまっている。
誰でも観れる法廷ドラマだけど
この映画の監督は、あまり裁判に関することは知らないんだと思う。
だからこそ、専門用語で固めたり、よくわからないようなことはせず、一般人から観ても理解できるような、法律や裁判の矛盾を描けた。
しかし単純に、ストーリーの組み方、見せ方が下手すぎて、どうも馴染めない。
ピンとこないことが多すぎる。
レイフォード判事のキャラクターはよくわからないし、狂って丸刈りにした相棒の処理も中途半端だ。
ラスト5分のために作った?
ただもしこの映画監督の狙いが、私の意見と一致するなら、あながち悪くない。
この映画は、ラスト5分のシーンのためにつくられた、と。
あのアルパチーノの最後のシーンのためだけにつくられたんなら、わかる。
実際、あのシーンにいくまでは、はっきりいって星で言えば1つか2つがいいところ。
あのラストシーンに辿り着くまでに、あえて、ごちゃごちゃさせて、裁判の息詰るような感覚、いらいらするような権力者達の横暴を観客に見せて、最後の5分で全てを解放させたかった、という狙いなら悪くはないと思う。
もう少しこうなってれば
もう少し技量があれば、弁護士という職業に耐えられなくなり、狂ってしまう同僚、その同僚を看護しているあいだに、裏切られたと感じ自殺してしまうあのオカマ、そして冤罪で牢獄に入り、そこでレイプされ、自由になりたくて看守を人質に立てこもる青年の射殺、など、幾つかのこの法律世界の「現実」をうまくまとめあげて最後のラストシーンにつなげていたら、相当スバラシイ映画になっていたはず。
監督が違ければ
だからつまり、ラストシーンだけに全てを捧げるのはいいんだけど、それにしたって
それまでが退屈すぎる。
もう少し、わかりやすくフラストレーションをためさせて欲しかったというかね。
最後のシーンの解放されるフラストレーションの中の一部は演出や見せ方が下手すぎてイライラしてたまってたフラストレーションも何パーセントか含まれているわけでね。
悪徳判事と対立するアーサー弁護士。
その敵対しているアーサーがその悪徳判事を弁護すれば、本当に無罪なんだと、マスコミに受けがいい、という設定はすごくいいし、最後に弁護側自ら、判事を裁くという、ありえない行為。
すごくいい。だから、もったいない映画だよね。監督が違ければ、絶対化けていた。
あのラスト5分だけのシーンを評価し、星は6つ。
言うなればこの映画に貢献しているのは、あのラストシーンを飾ったアル・パチーノだけ。
やつぱり演説やらしたら世界最強。
「ジャスティス」評価
★★★★★★☆☆☆☆