樹木希林 人生最大の表現は「愛されるより愛せ」

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私が樹木希林さんを語ろうと語るまいと、天国の樹木希林さんご本人、世間、なんら影響は与えないだろう。

ただし、ここまでドラマを、映画を、楽しませてくれた人に対する感謝の念を、綴っておきたい。

会いたいけど会いたくない人

もちろん会ったこともなければ面識もないけど、この御方はおそらく芸能界においても、かなり難しいタイプの人だったように思う。

なぜなら、事務所も持たず、マネージャーもつけずに、ほぼ一人でなんでもやるんだから、使う側は相当手を焼いたはずだ。

芸能界においては、本人には直接言いにくいことをマネージャーや事務所の人に伝えたりだとか、社会というのはおべっかや建前というのも時としてうまく作用することもある。

けどこの人には一切それが通用しない。なぜなら全部自分でやってのけてしまう人だからだ。

坂上忍さんは樹木希林さんのことをこう話している。

「希林さんとかだと、それこそ正直に生きている方なので “全部バレる” っていう恐さがある。これが一番恐い」と。

会いたいようで、会いたくない。全部見透かされてしまいそうで。

とにかく、どこにもカテゴライズできない強さと怖さがあって、そうでなければ報道陣を全員自宅に入れて記者会見やったりだとか、マネージャもつけず自分で直接ギャラ交渉したりなんてしない。

カトリーヌ・ドヌーヴにも平気で年齢や体型のことを聞けるのはこの人以外いないだろう。


樹木希林がカトリーヌ・ドヌーヴに猛プッシュ!!映画『ルージュの手紙』樹木希林×ドヌーヴ対談映像 

樹木希林はタモリである

晩年は名女優とかいろいろと評価されていたけど、元々本当に破天荒な人で、アバンギャルドな人であったことは間違いない。

それで言うと、タモリさんがそれに相当する。

タモリさんはデビュー当時の自分のことを「芸風は今で言うと江頭2時50分みたいなもんだった」と言っているが、まさにそうで、そういうおかしな芸風な人がお昼の時間帯に出てきたから面白かった。とにかく70年代~80年代の日本なんて、今思えば全てが狂っていたような時代だから、なんでもありだった。

そんな突出した超個性に目をつけた当時のプロデューサーらはこういった方々をどんどんメディアに出した。三つ子の魂百までというように、どれだけ時代が変わっても、超個性の基本的なスタンスは変わることなく人々に受け入れられ、いつしか「天才」「レジェンド」「日本を代表する…」と称されるようになっていった。

ただし本人たちからすれば、「あほか」と一蹴するんだと思う。そんな称賛に自分がいかに相応しくないかを誰よりも知っているから。

でも攻撃されるよりは悪い気はしないし、もらえるものはもらっておこうと、評価も受け入れてきた。そうして、超個性の変人たちは天才となっていった。

愛されるより愛せ

今でこそ、いろんなタイプの女優さんがテレビで活躍しているが、樹木希林さんの時代は「女優といえば美人じゃないと絶対にダメで、私も鏡見て、こりゃダメだと思って(お婆さんの役でもなんでもやった)」と話している。

自分の容姿から何から全部達観して、人生を謳歌し続けた。もちろん、それにはとてつもない胆力が必要だったと思う。

でも全力で人生を愛した。その生き様の象徴が内田裕也さんとの結婚だ。

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出会ってすぐに結婚を申し込んだというし、離婚届けを突きつけられても受理せず裁判までして白紙にした。その後、内田裕也さんがどんな生き方をしても、離婚することなく、愛し続けた。

ビートたけしさんや、勝新太郎さん、こういった人たちの奥様方からは、ものすごい胆力を感じる。樹木希林さんもそうだ。

世間から見れば、「なんであんな男と」と思うだろうが、この奥様たちこそ、そういった世間の物差しでそもそも生きていない。自分の物差しで相手を選び、愛しているから、世間や時代がどう変わろうと、その愛する気持ちに変わりはない。

そして、この男たちもまた、時代がどうなろうと、打ちのめされても、這い上がっていく胆力を持ち合わせた男たちなのだ。

そういう男を見つけたら、誰がなんと言おうと手放すな、愛されようなどと思うな、死ぬまで愛せ、男を、人生を、そして、自分を。

それが、樹木希林さんが生涯を通して伝えた表現だったのではないかと思う。


【西武・そごう】わたしは、私。樹木希林さんスペシャルムービー

もし天国からこの文面を樹木希林さんが見たら、「分かってないわね」と笑われるだろう。